海洋問題

海を奪われるということは、暮らしと未来を奪われるということです

日本は、海に囲まれた島国です。

我が国にとって漁業資源とは、単なる食料ではありません。それは国民の命を養い、地方を支え、日本人としての文化と精神をかたちづくってきた、かけがえのない国家の礎です。

しかし今、その大切な海が、静かに、そして確実に、他国の手によって奪われつつあります。本来であれば日本の漁師が操業し、日本の港に水揚げされ、日本人の食卓を潤すはずの魚介類が、他国の漁船により大量に捕獲され、それを逆に「輸入品」として日本が買い戻すという、不条理極まる構図が当たり前になっています。

このような構造は、戦後不法占領されたロシア一国に限らず、我が国の甘さにより、近年では韓国・中国・台湾も含め、すでに複数の国が自国の漁港で日本由来の漁獲を水揚げし、それを日本国内へ輸出するという利権ビジネスを築いているということに他なりません。つまり、日本の海で育った魚は日本の民の口には入らず、他国の利潤となって戻ってくるのです。

このような状況を長年にわたって看過し、放置してきたのは、まさに日本政府が資源保全と海洋外交において重大な甘さを見せてきたからにほかなりません。外国漁船への法的制裁は不十分であり、外交交渉の場においても「摩擦回避」という名目の沈黙と譲歩を続けてきました。これが、国民生活の基盤である海と漁業を、他国に自由に操らせる結果を生んだのです。

いま、日本周辺の海では、明確に各国による海洋支配と資源侵奪が進行しています。

ロシアは、北海道東部から北方四島周辺の海域において、サケ、マス、タラ、カニなどを大量に水揚げしています。それらの魚介類は、本来、日本の漁師が獲っていたものであり、日本の漁場に属する資源です。しかし現在では、ロシアが自国の港に持ち帰り、それを日本に輸出するという形が定着しています。

韓国は、島根県の竹島を不法に占拠したまま、周辺海域のアワビ、サザエ、イカ、カニを独占的に捕獲しています。かつて日本の漁民が代々利用してきたその漁場で、今や日本の船は締め出され、韓国の港で水揚げされた魚が、日本国内に輸出されるという矛盾が平然と行われています。

中国および台湾の漁船団は、2010年代後半からその活動を急加速させ、北海道沖から三陸沖、さらには伊豆・小笠原諸島沖の公海にかけて、大規模な漁獲作戦を展開しています。彼らは日本の排他的経済水域に入る直前の回遊魚を囲い込み、イカやサンマなどを一網打尽にして、自国で水揚げし、加工・冷凍された上で、日本へ「商品」として送り返しているのです。

このように、日本近海で育った魚が、日本人の手を経ることなく、他国の利益となり、日本人はそれを買い戻すしかないという構造は、食料問題ではなく、まさに主権の喪失そのもので重大な主権問題です。

このままでは、日本は「かつて海の民であった国」となり果てます。漁村は潰れ、技術は失われ、魚は外国製の高級品と化し、海に生きた民族としての記憶すら消えてしまいます。

しかし、今後、日本が国家として取るべき道は明確です。

他国による海洋資源の略奪に対しては、断固たる排除行動を取らなければなりません。警告だけでは不十分です。拿捕、没収、罰金、排除措置、操業停止命令など、実力を伴った対応を国家が執行すべきです。それは漁業の保護ではなく、国土防衛、すなわち主権行使です。

外交の場では、譲歩と沈黙を捨て、我が国の正当な漁業権を明確に主張し、国際社会にも強く訴えていく必要があります。とくに公海上での無秩序な乱獲行為については、明確な規制を国際的に定めるよう主導すべきです。主導権なき外交は、国家なき国の振る舞いです。

国内の漁業と地域社会の復興に国家を挙げて取り組まねばなりません。若者が誇りを持って漁業に参入できる環境を整え、技術と文化の継承、地域経済の復活を国策として推進し、日本の海を日本人の手に取り戻す必要があります。そして何より、我々日本人一人ひとりがこの現実に気づかなければなりません。気づき、怒り、立ち上がらなければなりません。この国の海を、魚を、暮らしを、そして未来を、黙って奪わせてはなりません。

我々の手で外圧による国家衰退は変えなければなりません。

国を守るとは、国民の命を守ることです。海を守るとは、主権と誇りを守ることです。我々の子や孫の代に、魚も獲れず、海も語れず、外国から輸入された冷凍品だけを食べて生きるような国を残してはなりません。

いまこそ、日本人としての誇りを取り戻し、国家の責任と覚悟を持って、この国を守るために立ち上がる時です。