拉致問題

拉致問題は日本民族への挑戦である

我が国の主権と尊厳を侵す暴挙を、断じて看過してはなりません。

1970年代から1980年代にかけて、日本各地で突如として姿を消した男女がいました。長らく「不可解な失踪」とされてきた方々の多くが、北朝鮮によって国家的に拉致されたという事実が明らかになりました。

2002年の日朝首脳会談において一部の被害者が帰国を果たしましたが、いまだ多数の日本人が北朝鮮に囚われたままであり、帰国の兆しも見えておりません。

さらに、政府によって公式に認定されていない中にも、北朝鮮の関与が強く疑われる「特定失踪者」が多数存在しています。

これらの方々は長きにわたり行方も知れず、国家の対応も十分になされないまま、世間の記憶からも忘れられつつあります。これは国家としての責務を果たしていないという厳然たる現実であると認識すべきです。

寺越事件もまた、この問題の象徴です。明らかな拉致であったにも関わらず、「本人の意思による滞在」として処理され、真実が歪められてしまいました。このような事例が二度と繰り返されるようなことがあってはなりません。

事実をねじ曲げ、政治的配慮によって幕を引こうとする行為は、被害に遭った日本人とその家族への裏切りであり、国家の堕落そのものであると断じざるを得ません。

国家とは本来、国民の命と尊厳を守るために存在するものです。

しかしながら、今日の日本は、自国民が連れ去られても有効な対応を取ることができず、「遺憾の意」という言葉だけが形式的に繰り返されています。このような状況のままでは、拉致問題そのものが風化し、ついには「なかったこと」とされてしまう危険すらあります。

我が国が本気でこの問題を解決しようとするならば、まず現行憲法の制約を乗り越えなければなりません。戦後体制の象徴たる憲法は、日本の国家力を封じ続けており、我々自身の手で新たな憲法を制定し、主権国家としての力を取り戻すことが急務です。

また、教育とマスメディアのあり方も根本から問い直す必要があります。

偏向報道や教職員組合による思想誘導、そして国旗や国歌を軽視するような反国家的教育は、日本人の心から国家意識を奪ってきました。日本人としての誇り、国を守る責任、他の日本人を見捨てない精神を養う教育体制へと、早急に転換すべきです。

国民の皆様一人ひとりが、この問題を「政府任せ」ではなく、自らの課題として捉えていただきたいのです。

真実を知り、正しい歴史を学び、自らの口で語り継いでいくことが、再び日本人が奪われる事態を防ぐための第一歩になります。そして、拉致問題に真正面から向き合い、日本人を守る覚悟を持った議員・代議士を見極め、国政に送り出すことが、我が国の進路を定める確かな道となります。

拉致問題の解決とは、単に数名の帰国をもって終わる話ではありません。

それは、国家としての意思を示すことであり、日本民族としての誇りを取り戻すことに直結します。日本人を奪われてなお沈黙するような国ではなく、日本人を守るために断固たる行動を取る国家として、日本を再び立ち上がらせなければなりません。

国家とは、ただ形だけのものではなく、守ろうとする意志と行動によって支えられるものです。

我々は今こそ、祖国日本の誇りを取り戻し、日本民族の名において、この未曾有の屈辱を乗り越えなければなりません。この責任は、今を生きるすべての日本人に課せられた、重大な歴史的使命であります。